写真や文章、ペインティングや朗読など、多彩なフィールドで表現活動を続けている前田エマさん。前編では、「世界がどんどん開かれていった」という写真との出会いのエピソードを話してくださいました。後編では、これまで撮った思い出深い写真のストーリー、これから取り組んでいきたい作品についてなど、彼女の創作の背景を掘り下げていきます。

どこにいても「日常の風景」を写したい

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---- これまでに、思い出深い写真が撮れた旅はありますか?

前田さん:パリですね。やっぱり観光地なので、最初はエッフェル塔とかそういうものばかり撮ってしまっていたのですが、2回目、3回目と通ううちに、だんだん東京にいる時と変わらない感覚で撮れるようになっていって。そこにいる人たちの日常風景を捉えられるようになったのが楽しくて、自分自身の成長も感じられました。ちょうど『パリ・フォト』の時期だったこともあって、写真好きが集まっているという空気感にもわくわくしました。

---- パリの写真で、とくに気に入っているものは?

前田さん:友人が夜の街に連れ出してくれて、その時に撮った写真がすごく印象的でした。お酒を飲んでいる人たちとか、まわりのざわざわした雰囲気のなかで、自分もパリの街に溶け込めたような気がしたんです。そういう温度感で写真を撮れたことが嬉しかった。旅先での自分は「部外者」ですけど、それがある程度長く滞在することで少し変わる瞬間ってありますよね。そういう感覚を感じられた旅でした。

---- 今はなかなか遠くに行けない日々ですが、最近はどんな写真を撮っていますか?

前田さん:自粛期間はずっと家の窓から見える川辺の写真を撮っていました。川辺を歩いている人や、遊んでいる子どもとか、時間によっても季節によっても全然違うんです。そうやって定点観測した風景を作品にしている写真家さんって何人かいらっしゃいますし、写真集もたくさんあります。だから「私もやってみたいな」と思って。

---- 富士フイルム『IRODORI』のウェブサイトにある写真とエッセイの連載でも、川辺の写真を載せられていました。窓からの風景、とても素敵です。

前田さん:いつもリビングに『写ルンです』を置いておいて、気が向いたらすぐ撮れるようにしているのですが、川辺の写真はまさにそうやって撮りました。写真を撮るってある意味ちょっと億劫なことでもあるので、家のいたるところに『写ルンです』を置いておくと楽なんです(笑)。充電も気にしなくていいし、気軽に置いておけてアクションもしやすい。家では原稿を書いていることが多いので、そういう時間の合間に定点観測を続けています。

撮ること、撮られることの関係性

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Buriki no Zyoro にて撮影。

---- 前田さんは、撮るだけじゃなく、モデルとして被写体になることも多いですよね。そのどちらも経験していることは、自分自身にどんな影響がありますか?

前田さん:そうですね...モデルってなんなのでしょう。たとえば自分が「こう撮られたい」と思う角度とか、服の魅せ方とか、そういう技術はだんだんついてくるんです。でも、ファッション写真としてはそれが正解だとしても、モデルとしてはそれが正解なのかわからない。私はもともとファッションモデルとしてじゃなく、写真家さんの作品の被写体をしたことがモデル活動のスタートだったので、技術や経験が必ずしもプラスになるわけじゃないのかな、と思います。

---- なるほど...「見え方」を気にしすぎてしまったり。

前田さん:そうですね。カメラってある意味で暴力的な部分もありますし、ただありのままカメラの前に立っていたほうがいい時と、そうじゃない時がある。ファッション写真とパーソナルな写真では求められるものが違うときもあるので、正解がないから難しいです。でも、これまでにたくさん写真を見てきたので、それは何らかの形で、モデル活動にも影響していると思います。

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---- 逆に、モデルの経験によって自分の撮る写真が変わることはありますか?

前田さん:もしかしたら、つまらなくなったかもしれないです(笑)。モデルを始めたせいなのかはわからないけど、手癖みたいなものが出てきちゃって、それを「個性」と言えるところまでいけてないから。でも、モデルの女の子たちの間でフィルム写真がブームになっていったのを見て感じたのは、「私は高校生の頃から、自分の居場所や世界の見え方を確認するために写真を撮ってきたんだ」ということ。だから、もしフィルム写真のムーブメントが終わったとしても、私はきっと写真を続けていくんだろうなと思いました。

「見えない世界を見る」のが写真の面白さ

---- 前田さんは写真以外にも文章や絵など多様な表現方法を持っていますが、感覚の違いなどはありますか?

前田さん:たぶん、同じ感覚だと思います。どんな表現も、自分と世界との距離感や違和感を表す手段で、私のなかでは一緒なんです。それぞれの技術量や興味の度合いは変わってきますが、別のことをしていると思ったことはないです。

---- そのなかで、写真はどういう位置づけですか?

前田さん:文章や絵を作るときは、その媒体と自分が直接触れ合う感覚があるのですが、写真はどこか壁があるように感じます。自分のなかにある言葉を吐き出して創り上げるというよりも、カメラという道具を使っているからなのか、「見えない世界を見る」みたいな感覚があって...。写真はやっぱり機械が撮るものだし、フィルムだと現像するまで何が撮れているのかわからない。自分が意図した通りにできあがるとは限らないからこそ、面白いのかもしれないですね。

---- 写真を撮るとき、どんなことを意識しますか?

前田さん:迷ったら撮らないこと。撮って後悔することもありますし、あまりものや人に執着しないタイプなので、迷ったらやめちゃいます。それがいいのかはわからないですけど(笑)。私は衝動や反射神経で撮れる人じゃないのかも。絵画の勉強をしていたので、構図がよくなかったらやめてしまうことも多いです。

すぐ隣にあるものが、自分の表現につながる

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---- ものを作るうえで、どんなことにインスパイアされますか?

前田さん:写真家・深瀬昌久さんの『父の記憶』という写真集が、私がいちばん好きな写真集なんです。ご自身のお父様が亡くなって灰になるまでを死体も含めて撮影された1冊で、自分にとってすごく大きな出会いでした。私小説のようで、感情的なのかもしれないけど、どこか客観的な部分がある。私もこういう表現を文章で書ける人になりたいなと思いました。自分にとっての目標みたいな、とても重要な写真集です。

---- 深瀬昌久さんは、セルフ・ポートレートで自分自身にもカメラを向けていますよね。

前田さん:そうですね、家族写真とかも撮られていますよね。私自身、周りにあるものや人、自分の経験や体験を題材にしてものを書くので、深瀬さんの活動や表現には学ぶことが多いです。私もいつか「家族」をテーマにしたものを書きたいと思っています。写真はやっぱり見ることも撮ることも、何かを考えるきっかけになりますね。

---- 最後に、これから写真を通して挑戦してみたいことはありますか?

前田さん:そうですね...私、服が好きなんです。だから洋服は私にとって消耗品じゃなく、ずっと残していくものだと思って今まで接してきました。でも、やっぱり服は傷むし、ずっと自分の手もとにあるものじゃなく、記憶になっていく部分もあるんですよね。

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だから、服との思い出とか、そのひとつひとつとの物語を残せる方法が写真なのかなと最近は考えています。私自身と服の接し方みたいなものを、自分が撮るのか、誰かに撮ってもらうのか分かりませんが、残していきたい。自分の家族から受け継いだものはもちろん、東京で生きる若い人たちのブランドにもすごく興味があってコミュニケーションを取っているので、それは写真を通して形にしていけたらいいなと思っています。

前田エマさん

1992年生まれ、神奈川県出身。東京造形大学、ウィーン芸術アカデミーなどで美術を学び、在学中からモデル、写真、エッセイ、ペインティング、朗読など、さまざまな表現方法で発信を始める。卒業後もモデルとして活動しながら、個展の開催、アートやカルチャーイベントへの参加、雑誌での執筆連載など、幅広く活躍中。

撮影協力:

Buriki no Zyoro

https://www.buriki.jp/

〒152-0035 東京都目黒区自由が丘3丁目6−15

自由ヶ丘の住宅街にある「Buriki no Zyoro(ブリキのジョーロ)」は、季節の花やグリーンをはじめ、ちょっと珍しい植物にも出会える花屋さん。ブリキ雑貨やアンティーク家具など、お部屋のイメージングになるアイテムたちも所せましと並んでいました。

Photo by 秦和真

Writing by 坂崎麻結

写ルンです
写ルンです  「写ルンです」シンプルエース27枚撮り。写真を撮ってすぐに見られる時代だからこそ、現像するまでどんな写真が撮れているかわからない!というフィルムならではの楽しみがあります。ポケットに入るサイズだから毎日持ち歩いて、日常的にフィルム写真を楽しめます。
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